手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『蚯蚓姫』

[解題]
神野道理のアナグラムといい、“隣の家の少女”といい、エロとグロ(エログロではなく、あくまでエロと、グロである)の引喩が鏤められた本作。 皆川博子女史の『火焔樹の下で』を想いながら書いたが、あそこまで技巧的にするのも物理的に無理なため、これぐらいがちょうどいいのかと思う。 虐待はよくない。
[蚯蚓姫の手記]
 十七。右腕。十八。左腕。五。首。二十五。胸から腹にかけて。四十三。両足。背中、不明。顔……小さいのがひとつ。どうして、あいつは顔を狙わないのだろう。この生意気な顔を鞭打てばさぞ気持ちいいのだろうに。あいつは弱い弱い弱い弱い

[男の供述]
 虐待という言葉は知りませんでした。小学校にも満たない年頃だったから当然だと思います。隣の家の少女は、いつも籠りきりで、確か僕より二つか三つ年上でした。幼稚園から帰宅すると、母はパートに出かけ、家で留守番をしているばかり。そんな僕を彼女はよく河原に誘ってくれたものです。
 あの頃、川に糸蚯蚓が豊富にいて、彼女はそれを指差しました。僕はそういうの苦手じゃありませんでしたから、掬ってみせると子どもながらに自尊心を傷つけられたのでしょうね。夏だというのにいつも薄手のパーカーを着ていた彼女は、その時はじめて腕をまくって見せてくれたのです。大小さまざまな蚯蚓が群れてるようなその腕。舐めな、と言われました。蚯蚓好きなんでしょって。僕はそれが蚯蚓じゃない、いえいえたとえ蚯蚓だったら舐めたかったというわけではなくて、まあ、舐めたんです。彼女の腕。目を瞑っていました。彼女が。もっと強く、もっと強くっていうんで、食い込ませるように瘡蓋に舌を這わせれば喜んでくれるかなと思って、頑張りました。そしたら微かに目が開いて、ついでに唇がぱくぱくっと。真っ赤で、細い舌がちろちろと前歯を舐めていました。誘ってるんだな、と思って、首筋から頬、唇、まだ接吻だとか口淫だとか知らない頃ですよ、それでも自分がしていることは、とても恥ずかしいことだと思って、家に帰ってから、急いで口を濯ぎました。彼女の唾液が汚いと感じたのでしょうね。それから何度か、会いました。蚯蚓姫って呼ぶようになって。全身を舐めさせられ、いや途中からは僕自身が楽しんでいたのかもしれない。火遊びみたいに。死んだと聞いてショックでしたよ。手首を切ったなんて……もう少し傷が浅ければ舐めてあげたのに。それだけです。そう、たった、それだけ……。

[調書より一部抜粋]
 神野道理は、二年前に妻と死別し、七歳の娘と同居。平成二十二年一月十一日午後未明。自宅で、ディスカウントストアで購入した縄を束ね、娘に対し暴行を加えた。娘の顔はひどく裂傷。全治三ヶ月。神野は強い男になりたかった、舐めたかった、と意味不明な動機を……
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