手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『愛蓮説に添ふ』

[解題]
宋代の儒学者・周敦頤(1017~73)による詩を引用した本作。昔からこのようなアプローチはしたいと思っていたが、なかなか機会がなかったのでよき体験。本筋の物語、その感慨が原典に敵っているかどうかは一目瞭然で大敗を期しているのだが、等身大の俺を描けた気分であり、また蓮華というモチーフについても書き切った満足感。
平沢進『Lotus』、『ロタティオン』の音楽を聴きつつ、繁華な夜の景色に酔い痴れるのも乙なもの。他の作品と自己評価の観点が異なるのは致し方ない。


愛蓮説

水陸艸木之花、可愛者甚蕃。
晋陶淵明独愛菊。自李唐来、世人甚愛牡丹。
予独愛蓮之出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、
不蔓不枝、香遠益清、亭亭浮植、可遠観而不可褻翫焉。
予謂、菊花之隠逸者也、牡丹花之富貴者也、蓮花之君子者也。

噫、菊之愛、陶後鮮有聞。蓮之愛、同予者何人。牡丹之愛、宜乎衆矣。

(引用元はこちら




 抱く口実、世辞に過ぎないのだが、入墨が似合う女だと思った。

 そもそも猛々しい竜虎や絢爛豪華に舞う花吹雪であれば、その筋の息がかかった女に違いないし、男の頭文字や薔薇十字であれば出来心を不憫に思えたりもするのだが、その実、貼り物ではなくきちんとした彫り物で、肩甲骨に水芙蓉が咲いていたりする。華は朱く、浅黒い肌との不調和もあって毒々しく映え、これで肌は真珠色、髪も脱色していない淑女であれば、病的に落差を悦べたかもしれない。然し、週末の夜に繁華な社交場で出会い、酒に浸かっているからとのこのこ付いてくるような女だから、愕きはしなかった。
 とは言え蓮華紋様は行為に及ぶまでの雑談には適ったし、何より触れるも憚れるような出来ではない。葉を指でなぞれば、さぞや瑞々しい質感を味わえるのではと好奇が欲を掻き立てたりもした。


 予独愛蓮之出淤泥而不染
(私は蓮が好きだ。泥より出づるも泥に染まらず)
 濯清漣而不妖 中通外直
(漣に洗われても悪い方向へ流されることがなく、芯がしっかりしており外観はすらりとして立っている)
 不蔓不枝 香遠益清 亭亭浮植
(蔓も枝もなく仄かな香りを漂わせ高々として立っている)


 蓮っ葉というと品のない女を表す。てっきりその意が込められているのかと思えば、割りと根はしっかりしていて、湯浴みで汗を流す頃には素面に戻って股の内を強張らせていた。許すというより諦めたかの如く寝台に寝そべり、私の顔をまじまじ見詰めてくる。だのに、互いの距離を縮めんと見詰め返す私の視線からは、逃げるように目を逸らす。繰り返していたら私も冷めた。
 そうして交わることなく二時間ばかし過ごし外に出た。自販機で水を買い、共々にがぶ飲みする。休憩代と合わせて五千何某、と頭で勘定している私の手を握ったかと思うと、指先で爪を撫でてくる。何を今さら、と心中で毒づきながら左手を預け、それらが解かれたのち二人は永遠に別れた。

 夜更けの金曜、繁華街を歩くと彼女のことがよく浮ぶ。蓮華は輪廻の象徴でもあるから、後世の何処かで結ばれるさだめと思おう。けれども、現心で抱く思いが恋に似ながら恋ではない我儘なものであるように、常に幸福からは疎遠に在るのだと私は思う。
 忘却の彼方のひとつ手前に在り続け、永劫目映く見えればそれでいいのではないかとも思う。


 可遠観而不可褻翫焉
(蓮は遠くより眺めるがよく、近づいて手に触れるべきものではない)
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