手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。
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「猫を殺す物語」はすでにクリシェになり下がってしまっているのではないか? ということに尽きる。
本作は特に自発的な殺害ではないことを強調したかったのだけれど、客観的に見ればそうなるのだろうなと納得した。言わば、本作は化け猫話の変形でしかないのだけれど、現代においては殺戮の上でのみ成立するものなのだと再認識。妖怪も時代の変遷により、変わりつつあるのかないのか。それは恐怖の対象ではなく、副産物に過ぎないのかもしれない。悪意という名のあやかしの。猫の殺害がエスカレートする殺戮の端緒になったり、やり場を失った殺意のはけ口になったりする物語/言説を、僕たちはもうすでに(例の酒鬼薔薇事件以降、特に、)数多く語り・聞かされてきたのではないだろうか。(93期『そらみみ』高橋唯さん※当時 へのでんでんさんの感想より抜粋)