手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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ボツ作品『万華郷』の冒頭

これから書くやつ。

でも冒頭だけ書いたのが出てきたのでボツにする。

特に深い意味はないけど、晒しとく。



「なんだお前は、チビ。私はお前の父親ではないぞ」
 ワイシャツを着た男のひとが、二人を見つけるなり舌打ちをして遠ざかっていきました。ワイシャツは砂鉄をふりまいたように黒ずんでいました。ルタは十二歳になってずいぶん経ちますし、同年齢の子と比べて特別背が低いわけではありませんでしたが、けれども待合室を見渡してみれば、チビと呼ばれてもしかたないと思いました。
 さっきルタがそうしてきたように、たったひとつきりしかない出入り口から押し合い圧し合いしながら、人々がこの牛舎の臭いのする掘立小屋に入ってくるのですが、だれもかれも背が高く、がたいがよく、ルタより十歳も二十歳も年上の大人たちしかいないのです。後続の人波に押し込まれて、ルタは目の前に垂れ下がったワイシャツの裾をひとりでに掴んだのでした。知らないおじさんの服を引っぱってしまった……。ルタの指にざらつきがありました。男のワイシャツから移ってきたものでしょう。きめの細かい砂粒でした。
「なんだ、子どもがいる。おどろいたなあ」
 若い男のひとが物珍しそうにルタの顔を覗きこんで、頭を撫でるような仕草をしました。奇抜な髪型が印象的で、虹色に染まった毛先が鶏のとさかみたいに立っています。家に帰れば鳥類図鑑を引っぱり出していろいろな鳥を示せたのですが、その必要もありませんでした。一目にゴクラクチョウという鳥の名が浮かび、思うともうそれ以外のものには見えないのでした。どうして極楽鳥みたいな髪型をしているのですか、と訊こうとしてやめました。またおどろかれるのが恥ずかしかったのです。
「こんなところに子ども二人で大丈夫かな。坊主、お父さんとお母さんは」
 人見知りのルタは言葉足らずなりに、母親を探しにここまで来たことを話しました。極楽鳥の青年はとてもしんみりとした表情になって、周囲をうかがうと、今し方からになったレールの脇に立つ女のひととちょうど目が合いました。青年が手まねきをすると、レールを覗き込む乗客の列をかいくぐって、女のひとが近づいてきました。女のひとの服は腹の途中から千切れていて、胸も上半分露出しています。乗客と比べるかぎり、ここにはきちんとした身なりのひとなんておりませんから、とびきり目立ってはいないものの、女のひとの臍を間近に見るのは母親のほかには初めてで、ルタはなんだか見てはいけないものを見てしまった思いで、突然目をそらしてしまいました。
「あれ、迷子ですか」
「い、いや、それがお母さんを探しに来たみたいなんだ」
 青年がルタの代わりに話してくれました。
「この子たちだけで? そんなまさか。君、いくつ」
 女のひとがしゃがみ込みました。臍は隠れましたが、胸元がちょうど目線のところにまで下りてきて、やっぱりルタは顔をあげられませんでした。
「十二歳、妹は、二歳になったばかりです」
 女のひとはルタの背中におぶされたタホを覗きこみました。胸が顔に触れそうだったので、ルタはすんでのところでよけました。青年が目をぱちくりしているのが分かりました。
「眠っているの?」 ルタはうなずきました。
「かわいいね、名前は?」
「ルタ。妹はタホ」
「ルタ君、本当にお母さんがここに来てるのかな」
 ルタは首を振りました。自信はありませんでした。母親が書いた詩集に万華郷の名前が出てきたからとは言えませんでした。
「ここからトロッコに乗れるのは大人のひとだけだってこと知ってる?」
「どうして。お母さん、探しにいけない」
「トロッコは地下を通っていくんだ。地下は煙が充満してて、子どもにはよくないんだよ」
 青年が口を挟みました。女のひとがきゅっと唇を結んでにらみつけたものですから、青年はばつが悪い顔をして、そっぽを向きました。
「ごめんなさい。子どもには保護者がいないと切符はきれないの」
「切符がないと乗れないの?」
「そうよ。切符がないとここにはいられない。帰ってもらうことになる」
 ルタは肩を落としました。急にタホの体が重くなったように感じます。
「坊や、元気出せよ。親がいなくたって生きていけるさ」
「無責任なこといわないで。あなたもさっさと切符もらう手続したらどう」
「いけねえいけねえ。じゃあな、坊主。もう少し大人になったら会おうな」
「僕が」
 ルタが突然口を開いたので、二人は何事かと見合いました。
「僕がタホの保護者になります。そうすれば切符もらえますか」
 もう、と女のひとは口を尖らせました。君いくつ、と訊かれたので、十二歳とルタは答えます。
「じゃあ無理よ。子どもは保護者になれないの。せめてあと六歳年取ってからね」
「坊主、あきらめも肝心だぞ。無理なもんは無理なんだって」
「私が許しても切符はもらえないわ。私はただの案内だし、そんな権限ないもの」
「でもお母さんに会いたいんです」
 弱ったなあと青年が漏らしました。周囲の乗客もちらちらと横目では気にしましたが、我さきにと切符売り場の列に並んでいくのでした。女のひとは業を煮やして、小さな声でいいました。
「この建物の裏に、私が住んでる集落があるの。そこだったら切符持ってなくてもばれないわ。そこでお母さんを待ったらいいわ」
 そんなのありかよ、と聞き耳を立てていた青年がおどろきました。それがいい提案なのか悪い提案なのかルタには判りませんでしたが、けれども待っているだけなら気持ちは今までと同じだろうと思いました。自分で探しにいけば少し気持ちも和らぐのではないかと思っていましたし、きっと女のひとは自分と妹のことを思って言ってくれているのだろうと知ってはいましたが、どうしてもうなずくことは出来ませんでした。
「ちょっと待ってろ」
 青年が踵をかえして、切符売り場に向かっていきました。列に埋もれても鶏冠は目立っていました。しばらく答えが出ずに待っていると、青年が切符をひらひらさせながら戻ってきました。ルタの前に立つなり、手のひらに切符を隠して渡してくれたのでした。
「ちょっと、あなたどういうつもり」
 女のひとが囁き声で怒鳴りつけました。耳の裏を指でこすりながら、青年は頬を引きつらせていましたが、ルタにトロッコに乗るように顎で示したのです。
「切符はひとり一枚なのよ。あなたが行けなくなるわ」
「別に俺の切符をどうしようたって勝手だろ? それに俺さ、別にこの町に興味ないんだよ」
 青年がせせら笑うのを聞きながら、ルタは頭をこくんこくんと何度も下げました。他のひとに見つからないように切符を握りしめて、何度もお礼を言いました。
「で、問題はタホちゃんの方だよ。いくら赤ん坊でも、切符が一枚だと坊主しかトロッコには乗れない」
 母親ともし再会できたら……。ずっとルタはそのときのことを考えていました。きっと母親は一目見てタホのことを気にするだろう。もしどこかで会えたとき、そこにタホがいなければ母親は僕を抱きしめてくださるだろうか。頭のなかいっぱいに母親のことを思うと、やわらかい絹布で胸をくすぐられるような心地がしました。ここから先は子どもは行ってはいけないのだから、タホを連れて行くのはよくないことだと誰かに耳打ちをされました。きっとここで待っている方が安心だと思えました。
「タホは置いていきます。僕ひとりで行きます。お母さんと一緒に迎えに来ます」
「じゃあ、その間、私が預かるってこと?」
「そうなるわな」
 女のひとはさっき自分で出した提案も忘れてしまったのか、つい嫌な顔をしましたが、まあ仕方ないかと呟くと、ルタの背中からタホを受け取ったのでした。
「私の名前はニョン。子どもがひとりで行くような場所じゃないんだから気をつけて」
 ニョンは慣れない手つきでタホを抱きかかえると、重たそうに頬をゆがめました。
「俺はテルオだ。せっかくあげたんだから切符なくすなよ」
「ニョンさん、テルオさん、ありがとうございました」
「さあさ列に並んで。なるべく目立たないように」
 ルタはそそくさとトロッコ乗り場に駆けていきました。
「ところでニョンちゃん、君いくつ」
「十七歳よ」
「わぁーお」
 タホを抱えたニョンの胸がつぶれる様子を、テルオは横目でちらりと眺めていました。ルタはテルオのわずかにつき出た喉仏が上下するのを見ました。生つばを呑みこむ音がこちらにも聞こえてきそうです。優しいひとがいるいいところだとルタは思いました。石畳に敷かれたレールに白砂がかがやいていました。
 ついさっき出会ったばかりなのに、両親のような二人に手をふりました。ニョンがタホの手首をつかんでふりかえしました。
 極楽鳥の鶏冠がばさばさと揺れています。同じくらい胸が高鳴りました。
 握りしめた切符は、画用紙の切れ端を何枚かに剥したような代物でしたが、そこには確かにたったひとつの番号と、発車場―ステーション(往復)なる文字が刻印してありました。
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