昨日つぶやいたとおり、長年脳膜にこびりついて離れなかったあのシークエンスの正体が判明しましたので。
記憶ではもっと短く、
神社の境内のベンチのようなところに座る女性と猫一匹。
物語はなく、けたたましい蝉時雨のみ響いたる数分の話かと思っておりましたが、
実際のところはそんな不親切設計になってない模様。
境内のベンチだと思っていたのは縁側。
蝉時雨が印象的なのは同じながら、台詞はあるし、筋の通った物語も存在する。
埋もれた思い出を見つけた喜びはあれ、
とある一方では、おぼろげだったからこそ際立っていた記憶のなか、こうして正体を得ることで失われていくものもある。
観なければ、と後悔することは容易だが、
差し引いても釣りが残るほどの重みが、この物語にはある。
調べると巷の一部では有名な話なのだそうだ。
他人はさておき、私心にとっても
小学生の時分には畏怖でしかなかったこの物語から、何かが発していまが在ることは確かで、
これから先、何かが生じることもまた違いない……否、……
……生じさせなければならない。
創作とは、克服の手段でもあるのだ。
PR