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 手のひらの海に、汐はまた満ちる。それまで待とう、死ぬのは。(皆川博子『ひき潮』より) ―――吉川楡井の狂おしき創作ブログ。

-週刊 楡井ズム-

   

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『仮面の城』

[解題]
仮面テーマでは短篇作品として『笑み』というものがある。こちらは奇病の存在も雑じらせて、人が仮面を脱ぐときとは、素顔を曝け出すとは、というようなことを物語化したものだが、本作は仮面を被ったままの状態における不条理性を根幹としている。
地味ながら気に入っているのは、世界観でもあろうし、純粋無垢な物語運びでもあろう。
1000文字を、否、小説を書き溜めるにつれ、鍍金が剥がれる懼れと、それを隠すためにつける仮面の分厚さに気がつく。昔の作品に目を通すと、特に烈しく感じる。




 黒雲が巻いている空。生気の失った深い森を抜けて、辿り着いたのは銀壁の城。
 暗紺の泉の真ん中にそれはあった。
 黒く澱んだ川を跨ぐ石畳の小橋を渡り、悪魔のレリーフが乗った門を潜る。草花は枯れて更に淡色の色彩を昏闇の中に咲かせていた。通る者への罠のように茨が生い茂った庭を抜け、大きな樫の扉を開ける。そこは漆黒だった。
 だが、人がいる。二十人以上。闇の中で、体はマントで隠しているのか、白地に模様のついた仮面だけが浮かぶ。曼荼羅紋様、ナスカの蜂鳥、セーマンドーマン、アラベスク、雪華、市松、唐草模様、五芒星と流線型……。仮面の数だけ模様が違う。彼らは部屋を取り囲み、皆、中心を向いて、私を待っていたのだ。
「弟を返して。弟を探しにきたの。いるんでしょっ」
 私の声が広間に響いた。
『キミノ弟ハ、私タチノ中ニイル。見ツケテミタマエ』
 機械的な声が答えた。広間に並ぶ、仮面たちが微かに動いた。
 数歩、進んで立ちすくんだ。仮面たちが気味悪いのは変わらない。この中に弟がいると分かっても、変わらない。だけど、ここで食い下がる訳にはいかなかった。弟を探しに来たんだ。この長い距離を。
 私は仮面の前を横切り、見定めた。仮面の一つ、ロココ模様のそれに指を差す。賭けだった。根拠はないが自信はあった。
『ソレデイイノカ。仮面ヲハズシテミロ』
 私はゆっくりと仮面に手をかけて、外した。口にテープを貼られた弟の顔があった。私はテープを剥がした。
「姉ちゃんっ!!」
 私たちは抱き合った。弟の温もり。
「帰ろう」
 弟は頷く。
「仮面をしていたって、分かるわ。……弟だもの」
 あの声はもう聞こえて来なかった。代わりに、仮面の様子がおかしくなる。薄く切れ込みの入った目の部分に煌めきがあった。肩が震えている。ステンドグラスに月の光が漏れる。光が射し込まぬ間は闇に同化していたのだろう。虹色のベルトが仮面の群れを舐める。啜り声が反響する。
「姉ちゃん、逃げなきゃ」
 弟の声で我に帰り、弟の手足を繋いでいた縄を解くと、城から飛び出した。

 帰りの馬車の窓から、城が遠ざかっていくその姿を眺めて私は一息ついた。
 弟は疲れて眠っている。明日からは元の生活に戻るのだ。
 もし、あの時、間違えていたら……。
 弟の手を握る。

 あそこにいたのは、まだ迎えが来ていない仮面たちなのだろうか。それとも……。
 あの時、仮面が流した涙。私はきっと忘れない。
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